活動報告

福島県飯舘村訪問視察及び飯舘ライオンズクラブ例会訪問

日時 2019年10月21日~22日
参加者 浅田良孝、青地喜久雄、関戸克己
荒川安正、堀田清之、田辺郁夫、祖父江朗

10月21日(月)東北新幹線福島駅にて、午後1時10分、名古屋出発組6名と青森県・弘前から駆け付けた浅田会長が合流。案内役の飯舘LCL菅野哲の運転するレンタカーにて、飯舘村役場へと向かう。その道中、道路両側には、放射能汚染土が除去された後に緑濃く雑草が生い茂る田畑が続く。                
 午後1時40分頃飯舘村役場に到着。庁舎は、現在、外壁の補修工事中に付き、養生ネットに覆われているが、立派な建物であった。早速会議室へと招き入れられ、公務出張により不在の村長に代わり、浅田会長に対して副村長より、「帰村記念、絆・椿植樹」アクティビティへの感謝状の贈呈がなされた。その後、当クラブメンバーとの間で懇談・質疑応答があった。先般10月12日~13日にかけて、関東・東北を襲った台風19号による、メンバーの被災は無かったものの、村内にある大倉浄水場のダムにおいては、送水管の損壊により、ほぼ1週間にわたり、給水がストップした集落が有ったとの事。又、説明内容によれば、原発事故被災当時6000名余りの人口のうち、現在、帰村している人は、1300名程で、且つ、65歳以上の高齢者が65%に達している。
畜産農家7戸が、法人組織を作り、和牛の飼育を再開。花卉生産も一部回復し、出荷しているとの事。この後、隣接のスポーツ公園を訪ね、「藪椿」の植樹を背景に記念撮影。手入れが行き届いた立派な陸上競技場兼サッカー場、野球場、室内競技場が整備されていた。付近には、診療所、老健施設(100名収容可能)、小中一貫校・保育所も設置されていた。役場からの帰路、村内を車中より視察。あちこちにある村内保管用の「汚染土を詰めたフレコンバッグ」の集積場を目にしながら、L菅野哲の旧宅跡(現在家屋は取り壊し)や従前の耕作地等を見て回る。所々で、黄金色の絨毯を敷き詰めたように、見事に実る稲田を目にする。試験栽培の稲田との事で、1700㌶の農地のうち、試験栽培の農地は僅かに3㌫の50㌶が作付けされているのみと言う。「フレコンバッグ」を移送するダンプカー数台の他に、行き交う車もごく僅か、人影も家畜の姿も全く目にしない。住人のいない村里では、猪や猿が、わがもの顔で出没しているとの事。過去に目にした、三陸地方の津波被災地のように、破壊しつくされた廃墟、生々しい傷跡が有るわけではない。
山々、森・林、河川、田畑、点在する家屋の景色は、普通に有るが、本来あるべき日常生活や肝心の何かが無い「失われた村」、「沈黙の村」との印象を覚えた。陽も落ち、肌寒くなる中、一路、福島駅前へと向かう途中、阿武隈川の泥水になぎ倒された河川敷の有様に、19号台風の猛威を見る思いであった。

本日宿泊先の「ホテル福島グリーンパレス」にチェックインの後、午後6時からの飯舘LCの例会訪問。菅野典雄村長も出席された例会は、同クラブ輩出332-D地区6R2Z・渡邊守男ZCの例会訪問とも重なり、盛り沢山の内容であった。改めて村長より感謝状の贈呈を受け、参加者全員での記念撮影の後、賑やかな会食・懇談となり、和気藹々の内に閉会となった。

役場敷地内の放射線量計

寄贈した藪椿の植樹

「フレコンバッグ」の集積場

感謝状囲み記念撮影