活動報告

国際協調・LCIF・災害支援委員会 アクティビティ

日付 2023年2月15日(金)
場所 在名古屋トルコ共和国総領事館

トルコ大地震災害義援金
トルコ南東部のシリア国境付近で、2月6日、M7.8の大地震が発生し、死者も5万2千人を超える甚大な被害が発生しました。これを受けて、人道支援を目的として、2月15日(水)午後1時より、小川委員長と祖父江会長が在名古屋トルコ共和国総領事館へ趣き30分程面談し、災害義援金20万円を贈呈しました。
ウェット・リュトフィ・オズテュルキ総領事とは通訳を通じて会話し、その内容は東北大地震では一番に駆け付けたのは我が国で、それは明治22年に起きたエルトゥールル号の遭難に発しており、トルコでは学校で学んでおり、トルコ国民誰もが認識しており小学生でも知っていることで、知らないのは日本のほうである。と言うことでした。
その後、謝辞を受け在名古屋トルコ共和国総領事館を後にしました。

日本とトルコの絆を繋いだ物語
オスマントルコ帝国は明治22年7月、親善使節団を日本に派遣し、翌23年9月帰途についたが、和歌山県串本町大島樫野埼沖にてトルコ軍艦エルトゥールル号が台風による遭難、船甲羅岩礁に激突。この遭難に際し、当時の大島島民は不眠不休で生存者の救助、介護、また殉教者の遺体捜索、引上げにあたり、日本全国からも多くの義金、物資が寄せられた。69名の生存者は同年10月、2隻の日本海軍軍艦により帰国、明治24年1月2日無事にイスタンブールに入港し、トルコ国民から心からの感謝で迎えられた。
串本町では、遭難事故以降、第二次世界大戦で一時中断したものの、トルコ共和国と共催で5年ごとに慰霊の大祭を催し、現在に至っている。
1985年3月、イラン・イラク戦争の最中、イラクのサダム・フセイン大統領が「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」と言う声明を発表。世界各国は自国民を救出するために救援機を出したが、日本からの救援機派遣は見送られた。そんな時に救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国であり、トルコから駆け付けた救援機2機により、イラン在住215名全員の邦人がイラン脱出に成功。タイムリミット1時間のことでした。